2015年11月8日日曜日

2015-11-08 第27回 「ツール・ド・おきなわ2015」大会

いよいよツールドおきなわ本番。

4:45起床、5:00から宿で朝食。胃が強くないので、御飯とバナナ位しか食べなかった。
その後手荷物を預けた後に7:30頃まで宿で二度寝。
また、昨年の失敗を繰り返さないよう、何度もトイレに行っては出すものを出し切った。

一応前年度50位内なので、前方スタートの位置取りをさせていただく。
風はそれなりに強く吹いており、日差しも強い。
スタートラインに並ぶ際も運営側の誘導が下手で、上手に整列できなかったが、あっという間にスタート時間が来る。
エントリー数約370人、号砲と共に市民140㎞の部スタート。


結果:市民140㎞ 18位 1回目山岳賞獲得

スタートでは左よりに位置しており、各選手右側から先頭に動いて行ったので、中々前方に移動できなかったが焦らず順位を上げていった。
序盤の危険個所であるトンネルを前方で通過したかったので、2個目のトンネルまでには10番手くらいまでに着けることができた。
トンネル通過後はすぐに右折、左折で普久川ダムの登坂になるので減速しなければいけないのだが、先頭がかなりのスピードで突っ込んでいくので若干怖かった。別にリスクをとるような場所ではないので、落ち着いて対応した。

本格的な登りが始まると先頭選手がスピードを緩めて集団が膨らむ。こういう状態は前後での接触が発生しやすい。個人的には登坂をゆっくり走って前走者との距離に注意するよりは、マイペースで前方に出たほうが楽なので、マイペース走でするする前方に上がった。しばらくすると集団から30mくらい離れてしまった。15秒くらい後ろからの追走を待ったけど、特に反応が無かったので山頂を取ることを決意。スタート早々独走を開始した。

独走を選んだ理由は2つ。一つはもらえるなら山岳賞をとること。もう一つは集団のペースを抑えること。自分のチームメンバーは決して山岳が得意なタイプではないので、山岳賞争いを潰しておけば集団ペースは落ちるので、楽になるはず。

普久川ダムを坂を完全に独走で登りました。
途中でペースアップ
 後ろから追走されたくないので、基本的に後ろから視認しにくいライン取りを選ぶ。バイクから最初「30秒差」と言われ、淡々とマイペースで走っていると、集団内で若干山岳賞を奪う試みがあったのかペースが上がったらしく「20秒差」と言われた。僕はバイクに対し、「後ろには1分差って言って!」と冗談を言いつつ、少しペースを上げた。結局追走は終わったらしく35秒差と差は広がった。僕もペースアップを終了し、淡々としたペース走で山岳ポイントを通過した。

独走する気はさらさらないので、補給食を食べながら回復を試みつつ下山開始。単独で下るメリットは安全に走れること。ペースは上がらないけど(集団に合流予定なので上げる必要もない)、人のラインを気にするストレスもないので気楽である。210kmの補給地点あたりで後方に集団が見え、その後辺戸岬に向かう下りで集団に合流。僕一人のためにわざわざカウンターアタックもかからなかったので、危険なく集団に入ることができた。

辺戸岬区間は大きなアタックがかかることもなく、平和に通過する。途中スプリントポイントで数名飛び出したが逃げるような動きにはならなかった。ただ、トンネルが数か所あり、そのうちの一か所が長く・暗く・曲がっているためかなり怖かった。辺戸岬の下りは曲がる方向をあまり記憶していないのであまりスピードを出せなかったが、リスクを負う場面ではないので、安全第一で走った。

しばらくすると2回目の普久川ダムへの入り口へ差し掛かる。
再び集団が横に膨らみ、ラインが上手くとれずふらついてしまう。隣の選手に寄りかかる形となってしまったが、押し返してもらい助けられた。番号は記憶しておりませんが、ありがとうございました。
登口で現役学生の仲間が千切れ、昨年僕を助けてくれたメンバもパンクで戦線離脱してしまう。そのためここからは単独で集団内を走ることとなった。
さすがに2回目の普久川ダムはレース展開に影響が出るためペースが少し上がった。そんな中、山頂まで残り1.5㎞位からアタックをかける選手が1名。追いかければ2度目の山岳賞を狙えたかもしれないが、かなりダメージを負うと思ったので、ここは集団内で山頂を通過した。前回はこの辺りでトイレを我慢できず集団から離れたので、ここから先70㎞は未知の領域である。

普久川ダムで人数を絞ってどんどんペースを上げるかと思ったら、急にまったりしてしまい、登坂で遅れた選手が続々と先頭に合流してしまった。多分50名弱は残っているのではないだろうか?
その後は海岸沿いのアップダウンコースとなる。一応集団前方に位置し、少人数の逃げを形成できるようなら乗りたかったので、ローテーションに加わりながら走った。登坂なら結構余裕があったので、皆の足が削れることを祈ってペースを上げながら回してみたりした。
登坂では積極的に前を引いてみた。
集団の人数を削りたかったが、皆強い。
一方で、何回かペースアップをしつつも集団も前方の逃げを容認するつもりはなく、決定的な動きにはならなかった。集団前方にいる選手の意思統一もとれていなかったと思う。そんな訳で、自分自身も若干消耗したため、冷静になるため一旦集団後方に下がってみた。
下がってみると「まだこんなに人が残っているのか」と思うくらい、たくさんの選手が走っていた。また走っている間に自分のパフォーマンスも段々下がっていることを感じた。中盤に動き過ぎたのかもしれない。この様子だと羽地ダムの登坂までは大きな変化はないと思い、羽池までとにかく耐えることにする。ラスト30kmくらいではかなり苦しくて、もうあきらめてしまおうかとさえ思ったが、千切れたからってレースは終わらないし、隣の選手も皆苦しい様子で頑張っているのを見て、「苦しいのなら速くレースを終わらせよう」と自分を勇気づけて走った。
後半は自分からのペースアップ、周りへの反応等でダンシングが増えた。
それでも基本的にシッティングがメインだったかな。
アップダウンが終わり、いよいよ羽池ののぼりに向けて右折。この辺りで集団前方へ移動。最初のアタックに乗ったが、結局その次のアタックで飛び出た10名程の攻撃が決まり、先行を許してしまう。僕は単独で登ることになったが、逆に開き直ることができ、ペースを上げながら前を追った。
羽地からの下りで数名を回収し、ラストのメインストリートへ4名の集団で突入。しかし、なんと羽池の登りで遅れた集団10名弱の追走に遭い、飲み込まれてしまう。ラスト4kmをして嫌な展開になってしまった。ローテーションに混ざるとだいたい35km/hくらいのペースだった。
 集団での平地スプリントの経験がなかったこと、そしてこの集団がすでに表彰圏外(7位以降)集団ということもあって、若干気持ちが軽くなっていたこともあり、最後の坂で迷わずアタックをかけた。案の定誰もついてこないが、両太ももが攣る。でもチャンスと思い、無理やりダンシングで登坂頂上まで駆け上がる。頂上で前集団から千切れた一人を回収し、「一緒に逃げてください」と頼んだが、足が無いといわれ振られる。とりあえずゴールまで残り3kmを45km/hほどで疾走した。しかし集団もローテのペースを上げたのか、やはり2kmくらいで捕まってしまう。カウンターアタックに備えたけど、集団も僕一人にそこまでする余裕は無いようだ。

それでも10人以上の集団を相手に、僕はすでに足を使ってしまっている。どうせ正攻法では勝てないので、再びお見合いの始まったラスト1kmから集団逆サイドを突いて最後のロングスパートを仕掛けた。2回目の山岳賞を取った選手が乗ってくれたが、結局失敗。二人で18位、19位と仲良くゴール。山岳賞の2名が奇しくも最後に同じ選択肢をとったのが面白かった。
ともあれ、仲間含めて怪我もなく無事ゴール出来て良かった。

ゴール後は優勝したオーベストの選手に挨拶したり、仲間と語り合ったり、飲んだりと最後まで楽しい一日を経験させてもらった。特に学生時代の先輩の伝手で、チームUKYOの打ち上げに参加させて頂いたのは緊張もしたが、プロ選手とも話せてとても良いひと時でした。

記録賞と山岳賞。
山岳賞はリザルトに残らない名誉賞である。
レースの反省/感想
・本能に従って積極的にレースを走った。
 序盤の山岳賞独走、中盤のアタック、羽地からの走法など、決して「正解」ばかりではなかったけど、半端な走りではなく、「こうする!」という気持ちでスパッと走れた。上手くいかなかったときも良く納得できたし、やりたいように走ることができた。

・中盤に動き過ぎ。
 上と対照的な内容だけど、中盤に集団が大きいのに無駄な動きが多すぎた。結果かなり足を消耗したと思う。レース展開を予想するのは難しいから、後からは何とでも言えるけど、やはり140㎞というコースとの戦いをもう少し考慮しておけばよかったと思う。途中集団後方に下がって頭を冷やせたのは良かった。

・集団スプリントの戦術不足
最後に10数人の集団スプリントになったけど、今までレースで平地の集団スプリントをやったことが無かったので、戦術が取れないまま負けてしまった。これは完全に勉強不足だった。沖縄なら逃げない限り、絶対スプリントになるのに準備不足。まさかここまで上位に残れるとは思っていなかった。まぁ果敢にアタックを仕掛けたのも面白かったので、後悔ばかりではないけどね。

・食べる力が足りない。
 補給を取っている間に段々お腹が重くなってきた。3ヵ月のインド出張中に自転車トレーニングをしなかったため、相当内臓が弱ったのだと思う。こればかりはしょうがないとはいえ、もっと朝食少な目で、補給も羊羹ではなく、少量しか食べれないならジェル中心にした方が良いだろう。

とはいえ、3カ月のインド出張から帰国後1ヶ月の練習でここまで走れたのだから十分すぎる成果だと思う。
なんて言いつつも、別に勝った選手がベストコンディションだったとも限らない。手にした環境でいかにベストの走りをするかだ。
今回レース終盤まで集団に位置することで沖縄140㎞の雰囲気がようやくつかめた。当然来年・再来年同じ展開になることは限らないけど、「沖縄の走り方」をイメージすることができたので、次はもっと強く走れると思う。

以上、レースレポートでした。

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